2月11日は紀元節

今年も紀元節となりました。

紀元節の意味は日本人の暦、皇紀元年、2682年前に神武天皇が大和の橿原宮で初代天皇として即位された日を記念して定められました。現存する民族国家として、最も長い歴史を持つことを国民が噛み締め祝う日を取り戻したい。

大東亜戦争敗戦後に日本を占領したGHQによる日本文化破壊の一環として祝日も弄いじられ、昭和23年に廃止されましたが、昭和41年に建国記念日として復活しました。しかしながら戦後七十年以上経過しても未だにその傷が癒えないのは情けない。日本の再起を阻むために押付けられたままの憲法と共にその経緯は日本人として恥ずかしく情けない話であり続けています。

※連合国最高司令官総司令部。最高司令官はD.マッカーサー。 大東亜戦争後の日本を占領・管理するための最高司令部として1945年東京に設置。日本の法規の改廃、憲法の押付け、検閲、教育制度の改悪、大学など教育機関の愛国者排斥・共産主義者優遇、日本の正しい歴史、愛国書籍の焚書坑儒など、国際法を無視した蛮行を多数行った。日本人の自信を喪失させ、国体を歪め、強い日本の復活を阻み二度と白人に歯向かわないようにとする意図は明白で、その傷は未だに癒えず、悪化しているともいえる。反日日本人が増えた原因もここにある。今ではこの日本の綻びを中・韓等が日本への内政干渉・浸透工作に露骨に利用している。

 

嘗て四大節と言われた祝日は以下の如く

新年節(四方拝) 1月1日
1月1日元日の早朝に行われる皇室祭祀さいし。天皇が清涼殿の東庭に出て、属星ぞくしょう・天地四方・山陵を拝し、五穀豊穣ほうじょう・天下太平を祈る。明治以降は神嘉殿しんかでんで、皇大神宮・豊受大神宮・四方の神々を拝することに改められた。
紀元節 2月11日
日本書紀に記された神武天皇即位の日とする1月1日を太陽暦に換算した2月11日を祝日と定めた。 明治5年12月に制定。敗戦後、昭和23年廃止。しかし、自主憲法制定を党是として成立した自由民主党の有志が動き、社会党や公明党など反日左翼(今では親中・親韓と同義)の抵抗を排して昭和41年に建国記念の日として復活した。
天長節 2月23日
天長節は今上天皇の御誕生日。敗戦後、不敬にも天皇誕生日と呼ぶようになった。奈良時代、光仁天皇の宝亀6年(皇紀1435, 西暦775) 9月の詔勅によって初めて行われ、その後、中断したが、明治元年になって再興された。昭和の天長節は4月29日の昭和の日として残った。
明治節 11月3日
明治天皇の御誕生日、つまり明治の天長節。敗戦によって昭和23年に廃止され、昭和21年にGHQに押付けられていた日本国憲法公布日を被せることで文化の日とされた。まさに日本人から明治の発展の記憶と誇りを消し去るための仕掛け(の一つ)といえる。

 

/武産合氣會