一部の者に 権益が集中することはどの国にもあることで、その程度が少ないのが嘗ての日本、それが国民の幸せ国力の源の一つであったのは過去の物語になってしまいました。どのような富を手にしようとも所詮儚い一本の葦に過ぎない人間、あの世に持っていけぬことを忘れ富貴に執着するのが人間と言ってしまえばそれまでですが、人の欲望と業が国の形すら棄損しかねない領域に再び踏み込んでしまったのが今の日本です。
富の集中を是とする欧米をはじめ諸国の価値観に侵され、さらに価値観の違う外国人の侵入を許し、嘗て武家、商人、職工人、農家、その役割を問わず「足るを知る」が日本の美徳であったことを忘れてしまった。天皇は古くから権威の象徴で富や権力は臣下に預けた形であり、武士は一番の権力を持ちながら、決して一番の富者ではなかった。むしろ貧しいくらいでした。
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三十年以上に渡りかねぬ不況 に伴う低成長率、依然として高い技術を持ち優秀で勤勉な国民性でありながら日本が見る影もなく安くなってしまったのは、高い税負担で委縮する国民経済、先進諸国どころか世界で独り負けの続く国(➤)を蝕む害虫・内外の敵が原因です。さらに特定の様式文化の押付けに過ぎないグローバル化や戸籍制度の破壊をそのままに受け入れさせ、国の形を変えようとする邪な試み。このままでさらに進むと日本は固有の文化、国民と言える人を失い、まさに三島由紀夫が予見したドンガラ(枠)だけの中身のない国になってしまう。
日本の文化が潰えるということは、日本人の拠所(日本人が最も美しく輝き、主体性を持って活き活きと生きれる社会 我が家)を自ら捨て去ることになります。外国人に和服や日本刀は似合わないのと同様に、日本人にドレスやレイピアは滑稽としか言いようがない。事実、猿真似呼ばわりが付きまとうことに多くの日本人は気付いていないのが悲しい。
犯罪に繋がらぬ限り何をやろうと自由なのが日本ながら、日本人はワザワザ外国の(造った)土俵で戦う必要はなく、世界が羨むほど多様性に満ちながら深い伝統文化、それを体現する文芸や武道、もちろん合氣道も、忘れがちながら国語つまり七五調や五七調の音律美しい日本語がその根幹を支える、我が土俵があることを忘れないで欲しい。日本は英語圏以外で唯一、英語を使わずともほぼ全分野の高等教育が可能で自国語で極めて高度な思考が可能な国、努力と運次第で高収入もになれる国。
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今後益々増えることを 例えて云えば、日本の伝統的な祭りを外国に阿るイベントにすり替えたり、近くの神社がモスクに変わったり、寺の住職が外国人に変わり先祖代々の墓を蔑ろにされたり、日本とは何の縁もゆかりもない国外の宗教闘争が持ち込まれたり、日本国内なのに日本語が通じず支那語や英語を強要されたり。
既に進行しているが学校で日本を貶める虚偽の歴史を刷り込まれ日本人であることが恥ずかしいとまで思わせたり、安易に外国人を組織内に入れたことで自己増殖し組織を外国人に乗っ取られ生粋の真面目な日本人が収奪の対象になったり(これは奴隷化の始まり)、さらには細やかな配慮と思い遣りが必要な鉄道や道路がまともに維持できなくなったり、インフラが外国並に劣化して水道水を飲用に使えず停電が頻発したり。
店に入っても文化を共有せぬ外国人の店員ばかりでサービスの低下に苛立ったり、町にゴミが増え公衆便所が使えぬほど汚れたままになったり等、様々なことに繋がります。日本人には思いもつかない凶悪な外国人犯罪もさらに大幅に増えていく。それらが暫時進行していき、相対的に益々貧しくなる一般の日本人には力も気力も失われ、気付いた時にはもう遅いという事態になるのです。
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日本人は有史以来 母なる海に守られてきたため、残念ながら世界の常識に対しうぶで侵入を受けやすい国となってしまいました。外奸を撥ね退け日本を守ってくれた藤原隆家※1、北条時宗※2、豊臣秀吉※3、徳川家康※4や明治の元勲達※5は現代にはいません。特攻と称して自己顕示欲を満たす者はいても、本当の特攻隊※6員はもはやいない。そして豊かとはいえ個人の財力を投入し、果ては自らを犠牲にしてまで日本を守ろうとする産屋敷家※7も鬼殺隊もあるはずがない訳です。
「おもてなし~」などと外国(人)に対し甘い顔をしている間に日本人になら何をしてもいいという風潮すら生まれています。我欲のみで国を想わぬ多くの政治家※8、人事と天下り先しか頭にない官僚、目先の利益だけで国家観の欠如した大企業経営者(国家観のあった創業者は概ね死滅)は実は顧客を見ておらず、テレビ・新聞等、従来のマスメディアも視聴者・読者を見下している上に概ね侵入を許して信頼性に乏しく、その内部の病変を隠しきれなくなっています。
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景観が悪化し臭いも変わった 東京や大阪・京都の一部、群馬の大泉、埼玉の川口・蕨、北海道など日本全国に外国人居留地紛いの地域が増えています。対馬は隣国による半ば占領状態、沖縄は支那が露骨に奪いに来ており、古都 京都の惨状は個人的に特に腹立たしい限り。今はまだ一部に見えますが確実に非日本化が進行し、このままでは日本なのに周りが日本(人)を尊重しない外国人だらけ、治安が悪化して女性が夜出歩くことができなくなり、男性でも一人では危険な社会が普通になる時が間近に迫っている。しかも日本人が社会保険料の絡む重税に喘ぐ中で、来たばかりの帰化人を含む外国人の多くは納税を回避しながら、日本人が優先して受けるべきサービスを掠め取る。まだそれに気付かぬ人が多いことに焦燥が募りますが、自分の国を誇りを持って語れるのが普通の国です。さもなければ国は亡ぶ。その一点だけでも共有できる同胞が一人づつ増えていくことを願っています。しかし猶予はあまり残っていないと思わざるを得ません。
惟神合氣道 武産合氣會
※1:刀伊の入寇:藤原隆家は藤原氏の一族ながら、平安期に九州武士団を指揮し隠岐、対馬、九州北部に侵入し残忍な虐殺、略奪の限りを尽くした女真族を撃退した。
※2:元寇:鎌倉幕府の執権 北条時宗の命により、九州の御家人を中心にした部隊の活躍で蒙古・高麗の侵入を阻止、撃退した。
※3:伴天連追放令:豊臣秀吉は宗教を隠れ蓑にした奴隷貿易(教会と結託したキリシタン大名の手引きにより日本の男女多数が奴隷としてスペイン・ポルトガルの植民地や欧州に連れ去られた)を禁止、宣教師や宗徒を処刑しスペイン・フランシスコ会によるキリスト教布教を手段にした日本植民地化を防いだ。所謂 南蛮貿易には大きな利があったため、完全な禁令にはならなかったが、大きな制約をかけた。
※4:キリスト教禁止令:徳川三代で、宗教を隠れ蓑にした欧州による日本植民地化と国富流出を防ぐため、キリスト教を禁じ、さらに布教活動を完全に止めるために外国貿易の制限体制(鎖国)を完成した。想像ではあるが、この時、江戸幕府がキリスト教を禁じていなければ、日本は幕府の力が弱まった江戸時代中盤以降(約百年後)には植民地化され、神道も日本の仏教も現代に伝わっていなかったかもしれない。
※5:明治維新を成し遂げた志士の一部、代表的な人物を挙げると西郷隆盛・従道兄弟、大久保利通、板垣退助、黒田清隆、伊藤博文、山縣有朋ら、公家では岩倉具視、三条実美や西園寺公望らは明治の元勲と呼ばれ、明治大帝の下に彼らが主導して19世紀末~20世紀初頭、欧米列強による植民地化が常識の世界で国の形を守りながら列強と伍していけるよう苦労した結果、日本は非白人国で唯一の独立強国を維持した。西園寺は最後の元勲と呼ばれ、大東亜戦争直前の昭和15年に日本の行く末を案じながら死去した。
※6:神風特別攻撃隊:大東亜戦末期、フィリピン・レイテ沖海戦から始まった。敗色著しい日本を守るために十代後半から二十代の若者が日本に迫る米国を中心にした連合国の艦船に対し戦闘機や爆撃機で自ら激突自爆し、当初は多くの戦火を挙げ、連合軍に恐怖を与えるほどであった。フィリピン防衛戦、沖縄防衛戦と順次拡大し終戦の日まで続いたが、多くの若者の命がむざむざと失われた。航空特攻では約4000名、回天(人間魚雷)・震洋(ボート)等海上を含めると約7000名が殉じたとされる。今なら自爆ドローンを使って遠隔で行えるかもしれないが、当時は脱出装置を持たぬ有人機でまさに自爆した。愚かな戦法だが、無駄で人道に反するというにはあまりにも情けない、誰も自ら進んで自爆するために対空砲火の激しい敵戦闘艦に向かって行ったはずはなく、ただ命令を受けたから、断れぬ雰囲気だったから、どれもあてはまるが、それが日本人だけにできたことに欧米は震撼した。日本が一目も二目も置かれるのは彼ら我らの先人のお陰です。靖国神社に詣り「皆様、ありがとうございます。どうか安らかにお眠りください。あなた方の守ってくれた日本をお任せ下さい。」と祈って下さい。
※7:産屋敷家:吾峠 呼世晴 著の大正時代を描く漫画「鬼滅の刃」作中でお館様と呼ばれる産屋敷耀哉が当主を務める。鬼の出現を招いた自らの家系の責任を果たすため人々を食い荒らす鬼を退治する鬼殺隊を指揮する。財力のある家系でその財を鬼退治に投入する。鬼を滅ぼすため最後は自らも家族と共に散華する。架空の人物ではあるが、前記にも通じる日本人の一つの姿を現してくれていると思われる。作中には欲得ではなく人々の為に戦って散る人物が大勢描かれている。
※8:現在の日本の政治家(の多く):答えを記憶すればよい学校のお勉強はできたが、世襲化が進んで一般の国民から遊離し、国民の代理人たる政治家としては劣化・無能化著しいと断じざるを得ない。世襲化が進んだため一種の貴族とも云えるが、貪欲と狡猾さだけで凡庸にしかみえず、欧州の貴族に課される責任と義務(Noblesse Oblige:ノーブレス・オブリージ)は全く持ち合わせていない。税金を喰い散らし利を貪りながらも、上記のような日本国民を守り日本の為に自らを犠牲にして闘う姿など全く想像できない。恐るべきことに、多くが天皇に対し不敬ですらあり、日本人として大切なことを学んでいないことが明白。 後日、令和6年までは・・・、と言えれば幸せですが。